米国視点で見る第二次世界大戦から「他者との生存」を考える

みなさんこんにちは。やのゆーです。先日のイラン・イラク渡航者がアメリカに突撃した話ではしがない僕のブログながら多くの反響をいただき嬉しい限りです。このブログを始めてよかった。

 

そんな米国では、フランス領であったということからニューオーリンズに行ってきました。街並みの美しさは文句なしのものなのですが、中でも僕の興味を引いたのがThe National WWⅡ Museumです。

 

この博物館はいわゆる戦争博物館なのですが、立地が言うようにここは「勝った側の展示」です。そんな展示はかの第二次世界大戦の史実の展示を越えた「他者との生存」を考えさせるものでした。

 

展示内容から話を広げ、僕の考えたことを書いていきます。(展示に関心のない方は目次で飛ばしてください。)

 

アメリカ側から見た第二次世界大戦

参戦に消極的であったアメリカ国民

展示区画の一つ、Arsenal of Democracy(民主主義の兵器廠)と呼ばれるコーナーでは戦争に突入する過程が描かれます。

⇧真珠湾空襲を伝える新聞

 

そこでは米国人の戦争に対する意思が書かれているのですが、1939年9月にドイツによる侵攻開始後の1940年の段階では参加意思は非常に低かったことがわかります。

 

こうしてみると、対日貿易の制限というものからは見えない米国の意思が見えます。

開戦後の米国民の生活

真珠湾攻撃が始まって戦争が始まった後は米国も戦時体制に入りますが、ここではアメリカの家庭など日常にどのような変化があったかが展示されています。

⇧⇩米国での兵士募集チラシと各メディア。戦勝国でもプロバガンダを積極的に発信していたことが伺える。

⇧生活用品にもプロバガンダが現れるのはソ連も日本も中国も同じですね。

⇧当時の家庭にも戦争の面影が。

 

国内での各人種の対応

米国は移民による国家ということで多くの異なる人種が存在していました。120万人を越すアフリカ系アメリカンはこれまで差別されていたように一定の兵役につけなかったり、軍需産業の中で政府がアフリカ系の採用を呼びかけた後も雇用を拒否されたりといったことが繰り返されました。

⇧彼らは「2つの自由(戦争勝利と差別の撤廃)」を求めていた。

また、ドイツ・イタリア人移民が特定の差別を受けなかったのに対し、日系移民は肌の色から差別を受け収容所に入れられたことが詳しく書かれています。

⇧当時の日系移民。当時を生きた日系移民による映像もあった。

 

当時は国民国家が(少なくとも)欧米ではまだ成立していた時代ですが、移民国家という体質ゆえに国内でも多くの問題を抱えているのは今とあまり変わらないのかもしれません。

米国内での訓練

戦争開始後は多くの一般市民が志願兵として軍隊に加入しましたが、当然訓練を受ける必要があります。しかし時間の問題からどのように効率的に教育していったのかが海軍(空軍)・陸軍事細かに展示されています。

⇧訓練を受ける日系移民。

また、日系移民も志願して戦地に赴いたことや、女性の軍需工場のみでなく兵隊として参加していることも。

軍需産業の伸長と技術の向上

軍需産業の伸長は様々な業界での技術力の向上を促しますが、この博物館では当時自動車・製造など各企業が自身の持つ技術力を応用して効率的な兵器の開発を行ったことが展示されています。

 

戦争のこういった側面は日本ではタブー視されがちなのですが、この展示により戦争の持つ別の側面がよくわかります。

マンハッタン計画

日本の悲劇の象徴として描かれる原子爆弾の開発もここでは研究員のプロフィールから研究内容まで細かく描かれています。

 

この博物館では多くの映像資料が存在するのですが、原爆の実験の過程の映像では多くの人が閲覧していました。

太平洋戦争をアメリカから見るとここまで異なる!

この博物館では「Road to Berlin」「Road to Tokyo」と二つの大きな展示がなされているのですが、敗戦国の僕からすると不思議なことも多い展示があります。

 

日本の代表は..?

日本の日本史では軍部が当時大きく政治に関与していたことから代表としては東條英機や軍部の人間が大きく書かれています。一方、アメリカ側の視点では昭和天皇がEmpireとして米国代表のルーズベルト・中華民国の蒋介石らと並んで大きく展示されているのです。

 

もちろん大日本帝国憲法にもあるように当時の国家元首が天皇であることは正しいのですが、首相や側近が描かれる日本人としては違和感もあります。

 

また、この意見をもう一つ言わしめるのは英国の代表が皇室(ジョージ6世)でなく首相であること。まだ植民地を多く抱え、「大英帝国」と言わしめた彼の国の代表が連合国側でも(もちろん日本側でも)チャーチル首相となっている一方でこちらが天皇になっているというアメリカの視点には不思議なものを感じます。

 

ちなみに東條英機は別区画の「軍部のトップ」としてマッカーサーらとともに展示されています。彼らにして見ると、日本の首相も軍部としっかりして受け取られていたことがわかります。

 

また、「Road to Berlin」には対戦国側にソ連のスターリンがいた一方でこちら側にはいません。遅いとはいえ対日参戦はしているので若干ながらアメリカの思惑を感じなくもありません。

 

戦場の様子は..?

戦場の様子とは意外とわからないことも多いものです。特に日本においてはタブー視が多いのか戦場がどういったものかを体験する機会が意外と少ないものです。日本では僅かな映像と「玉砕」の一言から推測される”悲惨さ”というものが強いです。

一方こちらの博物館では、一区画を使ってガダルカナル島のジャングルを再現しています。国土の余裕、なのかもしれませんが、ジャングル内での視界の悪さや使われた武器が細かく展示されています。戦場に自らがいるような印象を受けます。

⇧中には砲台も。

 

米国の占領後の島々の様子は..?

アメリカが徐々に日本に迫っていったことは周知のようですが、ここではその過程で占領した島々がどのようにされていったかが描かれています。

⇧占領後の生活用品。「ビール券」なんてものもある。

 

この辺りはアメリカでしかわからないものも多いですが、日本でも戦争初期にどのように各地で活動したのか明らかにして欲しい部分もあります

また、本州空爆時に撮影された各都市(東京・大阪・富山・広島・長崎)の写真や、日本軍が行った神風特攻やその映像まで展示されています。兵士がキャンプで戯れる様子や占領後に使われた生活用品など戦勝国ということもあり、当時の映像も含めて細かく載せられているのがわかります。

⇧神風特攻。航空母艦に突っ込んで来る映像もあった。

 

⇧有名な硫黄島の旗揚げシーン。撮影後に大きいものに付け替えられたという。

 

「戦勝国」ならではの視点

何度も言うように、この国は経過はともかく最終的に”宣戦布告を受けて戦争を始めた国”です。つまり、侵略ではなく防衛としての観点が強く、展示も「ベルリンへの道」「東京への道」と敵の本陣に迫るように進められています。

⇧これは「Road to Berlin」のものだが、このように本陣まで何キロという風に道案内がされる。

 

「Road to Tokyo」の最後は原子爆弾です。上記にあげたように爆心地の写真は展示されており、かつ広島・長崎はより大きく展示されています。

⇧各都市への空襲写真。

⇧大きくスクリーンで原子爆弾投下シーンも展示。

 

しかし日本の平和祈念館が「悲惨さ」で括られているのに対し、アメリカ側の展示は一枚の大きな写真と高音女性の歌とともに勝利で終わります。流石は戦勝国というものです。

⇧勝利を祝う人々。カメラに入らなかったが、女性が持ち上げられて喜んでいる。

 

本陣までの道を示す標識もあり、ここまでだと「勝利の再現」と捉える人もいるかもしれない。

 

そこは日本側と大きく違う一方、上にはスクリーンにある文字が流されます。

 

War has grown steadily more barbarous, more destructive, more debased.

Now, with the release of atomic energy, man’s ability to destroy himself is nearly complete.

 

これはアメリカの国務長官であり陸軍士官であったヘンリー・スティムソンの言葉ですが、彼は原爆製造・管理の決断をした人である。

 

訳するとこうなる。

 

戦争は徐々により野蛮に、破壊的に、そして価値なきものになった。

今では原子力の開発により、人が自身を殺戮することがほぼ可能になった。

 

彼の考えはともかく、そして最後の写真もともかく、最後にこのようなメッセージを残していることから、この博物館が単なる戦争賛美博物館でないことがわかります。実際、「Road to Berlin」においても戦場の再現や現地の状況を詳しく展示しているだけなのです。これだけの戦争に勝利し、覇権を握ったのだからもっとナショナリズム高揚を良いとは思うほどです。

 

また、戦場の様子を4Dで再現したシアター(トム・ハンクス出演!)もあるのですが、こちらも戦場での爆撃を音や光で再現しつつ最終的に自由の勝利という形でしめられていました。爆撃の際の席の振動や光の強さには驚かされるものがあります。

しかしこのよう展示していることから、敵国の悲惨な状況に触れることなく、一方で核兵器への存在への疑問を匂わせて終わる。そんな博物館なのです。最も、ここで賛美をしたらそれこそ日本から猛反発を受けそうですが。

 

この博物館から「他者との生存」を考える。

このようにして博物館を見学すると、感じられるのは同じ戦争でもこれほど視点が異なるのかということです。確かに戦場の展示はなされていましたが「悲惨さ」よりも「現地報告」の意識が強く涙を誘発させるものではありません。

 

ここから学べるのは、一つのものに対するものの味方の違いを認識することと、同時にそれを否定しないことだと思います。日本の悲惨な戦争は事実、そして米国の現状報告的な展示も事実なわけです。完全に肯定はし兼ねますが、アジア各国での日本の活動も事実です。

 

相手を知り、認識する。無理に賛同せず、否定しない。別の価値観で生きる人を攻撃(自身の価値の押し付け)しない。別の言い方をすると、共生ではなく生存する、とでも言いますか。

この考え方は様々な文脈でこれから必要な発想だと思います。イスラム教と西洋領域国民国家、身近なことでいうと自分の生き方と他人の生き方、様々な場面で用いられるでしょう。

 

今回の博物館に関連した例を挙げると、日本のマスコミはよく「原爆投下は正しいか」という質問がアメリカでしますが、あれは完全に日本人の文脈であり決してその結論を否定することにはならないのです。

 

また、僕が強く印象に残ったのは昭和天皇が代表とされている文脈です。この認識は現代でも起きていると思います。それはズバリ海外で活動する自衛隊です。日本ではいくら「戦闘行為はなかった」「これは軍隊ではなく自衛隊だ」と言おうと、外国の武装勢力からすれば日本の国旗を付け、西欧イデオロギーを持って西欧を補助する彼らにとっては「日本軍」です。

僕たちがいくらこうであると言っても他人がそう捉えるとは限らない。これはしっかり心に刻むべきだと思います。

 

 

そしてもう一つ、日本にもこのような戦争博物館があっても良いと思います。僕は日本の戦争を話題に出すことをタブーとするこの風潮が危険だと思います。別に戦争賛美の博物館にする必要はない。そして、他国をさりげなく攻撃してナショナリズムを高揚させる必要もありません。

 

ただ、戦争を「悲惨なもの」とだけ捉えるのではなく、どのような過程で発生し、現地ではどういう様子であったのかをはっきりとさせる、「戦争状況博物館」の存在は必要であると思います。(呉の大和ミュージアムはそれに少し近いかもしれませんが)

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ABOUTこの記事をかいた人

埼玉の大学で観光を学ぶ大学生。ディズニー好きが高じて海外ディズニーにハマるものの、旅を続けるうちにイスラーム圏に注目してしまう。パリの移民街にもハマり、築けばイラン・イラクをはじめとした「反米」パスポートを持ったディズニーオタクに。 現在はパリの郊外移民を知るべくフランス語を勉強中。ジャーナリストを目指してます。